歯をみがいているとき、ぼくはぼくを、真上から見下ろしているような気持ちになる。
今までのぼくを眺めるわけでもなく、これからのぼくを探すわけでもなく、ぼくの、頭のてっぺんに、ぼんやりと視線を落としているような、そんな気持ちに、またなりました。
いいことも悪いことも、隣合わせにあって、ときどき慌てて、間違って手に取ってしまったりもするけれど、そんなときは元気に、歯をみがく。
価値観や感受性、そんなものに従っているひまはなく、ひたすらに歯をみがいているとき、ぼくはほとんど、ただのぬけがらで、しゃかしゃかしゃか、と、泡を立てる音が、気まぐれで健やかで、ついつい、なにもかもを忘れてしまう。そして忘れてしまったことも、忘れてしまおう。
歯をみがいているとき、浮かんでいるぼくがそこにいて、ぼくを、俯瞰で見ている。
悲しいやむかつくは、時間が経ったら消えていくし、時間が経たなくても、なんとなく、ほどけていく。
むずかしいことはひとつもないし、今までどおり、これからも、生きたり、を繰り返していくのだろう。
歯をみがくこと。それはたしかに、大切なことだったんだなあ、とも思います。
文:山本こう太 絵:kaori