コーヒーをのむという行為が実に人間らしくて、コーヒーがおいしいと言える自分になっていくたび、どんどんと人間としておおきく重く、ずっしりと成長できているような気分になります。
命に余裕ができたとおもう、死にかけるような経験をする必要がなくなったから、生きることがかんたんで、なにもないことが幸せだった、なにもしていなくても幸せを感じることができるくらいには、ぼくは、余裕だ。
あした生き延びるために必死だった頃、あしたのじぶんの命に直結するような生活を営まなければ、文字のとおり、あしたがなかった。
あしたが来るか来ないか、それは、じぶんでつくるべき運命だったし、それくらいにすこしまえまでのじぶんは人間ではなく、獣だった。
身体中に響きわたる肉や米やコーラばかりがやっぱり美味しかったから。
コーヒーは残念ながら、命にとって、なんでもないし、どうでもよいものだ。
あしたにつながることもない、いま、この瞬間のためだけに、のんでいる。
このまま尽きることもなくなった命を、称えるように、ぼくはコーヒーのことがすきです、ひと息をつくこの時間、本物の人間として、さあなにを想いましょう。
文と絵 山本こう太