本がすきというよりかは本屋さんがすきで、むしろ、じぶんの生活している世界に本を持ちこむことはぜんぜんすきじゃなかった、ぬっと溶けこむように本屋さんにはいるのがすきです。
本屋さんには、本来じぶんの視界にはなかったはずの言葉が、感情が、意見が、空間が、あたりまえのように平然と置いてある。
くるしいとき、くるしい理由がわからないとき、ここにならなんでもあるよ、と一言、やさしくおおらかに包容してくれる存在、たくさんの命がさまざまな方向にむかって飛び散り、ぶつかり、弾け、しかし収まりながらかたちづくられていく様子が、じぶんにとって、ほんとうにずっとやさしかった記憶があります、まだ幼かった頃。
世界はひろいだけでなくたくさんあるみたいで、それはつまり、いくつもの正しさがばらばらに、でもまとまりながら点在しているということだった。
じぶんはひとりだということ、そして、ひとりじゃないということを知る。
見たこともない言葉に出会う瞬間、見たこともないはずなのにいつもどこか懐かしくて、本当は、それはもともとじぶんのなかにあった言葉だったんじゃないか、とおもう。
じぶんのなかにずっとあったこの言葉を肯定してあげたくて、ぼくはまた、本屋さんにむかっているのかもしれません。
文と絵 山本こう太