思ったことを口に出せるなんてのは、良く見積もったところで、遊び道具になるくらいの良さしかないはずなのに、それなのにどうしてでしょう。
何でも言えちゃう人が、何でもを言えなかった人のことを踏みつけて、あたかも優位にあるかのような雰囲気をどことなく作り上げている。いやだね。
思ったことをずばずば言うタイプ、とぼくはずっと言われてきて、だからこそなんというか、ぼくはただ単にコミュニケーションに魅力を感じていたんだなあと思う。
思ったことを言ったほうがいい場面はたしかにあると思っていて、それは結局、言ったほうが面白く(広い意味で)なる場面だったりがほとんどで、たしかにずばずば言うけれど、ぼくのそれは冷める言い方をすると、作為的な敢えてのものだし、なんでもかんでも言葉を口からこぼしちゃうみたいなそんなタイプの人っているの?といつも疑っています。
伝える、というコミュニケーションを謀るときそこには相手がいるし、相手との関係のなかでしか言葉は役に立たないから、ようするに、君にだからこそ、思ったことを言いたい、をやっているだけなんだよね。
そこに悪意も善意もなく、それは相手との関係性においてのみ花が咲く種みたいな言葉で、その種の核には自分の本心が宿っているのだから、なんかあたたかくなりそう〜みたいな感じ。
でも、だからといってもちろん、思ったことを言えるのが優位であるはずもなく、ただ楽しむだけの遊び道具でしかないし、そういう遊び方が苦手な人もいて、そんなのは当たり前のことなのに、相手に斬り込んでいく武器みたいに思ったことを振り回している人もやっぱりいて、そういうの、ほんとうに超危険だなあと思う。
そういう人に対してこっちも思ったことを言おうとした途端、ぼくの遊び道具も凶器に変わってしまっていてハッピーは滅んでいるし、そんなものに大切な大切な思いを落とし込みたくはないよね、尊い自分に失礼だ。
思ったことが言えるのは偉い!という形式だけを摘まみあげるの、よくないね、こわいね。
大事なもの、見誤りたくないね、ほんと。
文:山本こう太 絵:kaori